憂鬱な毎日をどうしよう
ギターを弾いても酒を飲んでもなおらない
いつもの彼の温みも欲しくない
ザーザー雨降る舗道にひとりで泣きたいよ
やさしい言葉が欲しいわけじゃない
どうせ言葉だけに決まってるもの
今日はひとりになりたいの
みんなどっかにいっとくれ
バイバイ

満員電車に揺られてどこゆくの
うつろな目をしてどうでもいいよな顔をして
昨日一晩遊んでみたけれど駄目だったよと
あんたの顔が喋ってる
みんなそうなんだよ
あんたひとりじゃない
うまく気分を晴らした者が勝ちさ
それができないあんたなら
それができないあんたなら
バイバイ

憂鬱な毎日をどうしよう
分かっているけどグズグズしていてなおらない
このまま閉じこもっているわけにゃいかないが
いくら言葉で言っても駄目なこともあるのさ
慰めて貰いたいきもするの
愚痴をこぼしたら笑われるし
そんな弱い私なら
そんな弱い私なら
バイバイ

ウタ痛イノ

2001年12月26日
唄いたいの 耳を塞いでもいいの
唄わせて頂戴 唄いたいの

考えたくないの 聴いて頂戴
泣きたくはないの 聴いて頂戴
疲れたら 眠ってもいいから

踊りたいの 目を瞑ってもいいの
踊らせて頂戴 踊りたいの
見てばかりいないで さあこっちに来て
あたしの目の前で 踊って頂戴
倒れたら 抱いて帰って欲しい

唄いたいの うつむきたくないの
唄って頂戴 この私に
あなたに言ってるの 返事を頂戴
他に何もないの 唄って頂戴
疲れたの 返事をして頂戴
眠らないで 返事をして頂戴

唄いたいの うつむきたくないの
返事をして頂戴 返事をして頂戴
ねえあなた 返事をして頂戴
眠らないで 唄いたいの
死ね死ね死ねテディーボーイズ あっち行ってよブルーボーイズ
知ったかばっかりダンディーもさよなら
ジャズる心のビート ハードコア並のスピード
ouiでもnonでもtabetteでもmonsieurでたまらないの
恋はイエイエ!恋はイエイ!

だけど本当は 私だけのものじゃない
「奴はアイドル」「ちょっときどってる」

にくい貴方はいつも 会いたい会えないアイドルボーイ
乙女心に火がついて爆発よ
ちょっぴり背伸びのバカンスね 世の中ちょろいもの
恋はイエイエ!恋はイエイ!
森へピクニックに行こう
たまには
虫のように時間をつぶそう
いいかげんで
自堕落な昼食をとろう
「多分、このワインぬるいわ」
「小川で冷やしておけば良かったね」
「カンパイをしなくちゃ」
「何に?」
「何にでも」
「じゃあきみのカラッポなオツムに」
「貴方のでたらめなでまかせに」
そしてきみの膝でお昼寝しよう
もってきたケーキに蟻がたかる
君のかかとにも蟻がたかる
君の甘いかかとに

次の日曜日には海に行こう
人手のように時間を過ごそう
白いパラソル海に飛ばそう
バスケットにはラジヲ、クッキー、コーヒー。そしてアスピリン
バンソーコーも忘れずにね
きっと貝殻で君は指先を切るんだ
なんかそんな気がするんだ

虫になりたい
人手になりたい
機械になりたい
ラジヲになりたい

僕(私)たちは退屈に恋している
「あたりまえ」としての正気の世界は、
ステレオタイプに満ち満ちているからこそ正気なのであり、
なるほどそれは切実な狂気とは隔たっている。
しかし正気の世界は便利で居心地が良さそうに見えても、
その陳腐な退屈さゆえに人の心を麻痺させていく。
麻痺した心、
鈍磨した心もまた一種の狂気であり、
だからこそ我々の平穏な世界はせいぜい
「まがいものの狂気」
とでも呼ばれるべきことになる。
ありとあらゆる嘘をでっちあげて
いったいきみの本心は何なんだ
ぼくの目の前のきみの顔
めちゃくちゃ優しそうだけど
心の中では何を考えているんだい?

すべてを取り仕切るのは氷のように冷たい二本の手
ぼくの血管を流れているのはエスキモーの血
コンクリートや粘度に塗れ
悉く朽ち果てて行きながらも
自然は活路を見いださなくちゃならない

だから今の時代の掟なんて全部無視するんだ
未成年ならではの衝動に身を任せるがいい

こんな風にもあんな風にも
こんな風に、そしてあんな風に

何てこと、きみは×××××に取り憑かれ
どれほど自分自身を見失っているか

大の字に横たわって待っていてね
大の字に横たわって待っていておくれ
ちっぽけなきみのそのからだを横たえるんだ

ぼくらが一緒に寝るときみは言う
ぼくらが一緒に寝る時きみは声をかける

世界は夜のうちに滅亡するのかしら?
(ぼくはまったくわからない)
それとも世界は真っ昼間に滅亡するのかしら?
(ぼくはまったくわからない)
どこかで子供を持つことになるのかしら?
(ああ、ぼくにはわからない)

ぼくにわかることといえば、
ぼくらはここにいて
時は今だということだけ

だから、からだをのばして待っていて
からだをひろげて待っていて
議論の余地はない 論争なんてしていられない
きみはいつまでも覚めたまま思索にふけったりしていられるね
議論の余地は何もないというのに

大の字に横たわって待っていて
大の字に横たわって待っていておくれ
花に嵐の例えもあるさ
さよならだけが人生だ

哀しい歌

2001年12月20日
真夜中に
目が覚めて
できていたのは
哀しい歌
哀しい歌をつくりましょ
哀しい歌をつくりましょ

あなたとは
永いけど
できてくるのは
哀しい歌
哀しい歌をつくりましょ
哀しい歌をつくりましょ

明け方に
ねぼけまなこ
哀しくない
哀しい歌をうたいましょ
哀しい歌をうたいましょ

玉井さん 最終回

2001年12月19日
 「あのおばあちゃんしんじゃったねえ。
  おれが仕入れで自転車漕いでるときさ、
  いつも缶いっぱいのせた荷台引いてたけどねえ。
  けっこうきれいな格好してるのにさ。
  一度、何してんの?って声かけたら、
  あたしは家がないからこれ売らなきゃいけないのって言ってたけどね。
  なんか手伝いたくなっちゃったもんなあ。
  もちろんしなかったけどさあ。」
 バーのマスターが言った。
 なんだか、いろんな場面がフラッシュバックして、頭が痛い。
 ここにも玉井さんはいない。
 村田ミツさんが死んだことになっている。
 じゃあ、あの玉井さんは?
 ちりとりに書かれただけの「玉井」さんは?
 あれはどこかで拾ったちりとりだったかも知れない。
 彼女はどこへ行ったろう。
 私の中のどこへ行くんだろう。
 ただ、私ひとり、ぽつねんと誰が死んだか分からずにいる。

玉井さん その7

2001年12月18日
 「…被害者は村田ミツさん。64歳。
  容疑者の近くに住んでいた同じホームレスの女性です。
  容疑者の動機は、被害者が金をためているという噂を聞いた
  と述べています。………」
 村田ミツ。
 玉井さんじゃない。
 でも顔写真は玉井さんだ。
 チャンネルをいくつも変える。
 「こわいですねえ。
  夜の多摩川はひとりじゃ歩けないですよ。」
 「多摩川付近の住民の安全を考えると、ホームレスを野放しにして…」
 消してしまった。
 何だろう。何だろう。何だろう。
 村田ミツ。
 玉井さんじゃない。玉井さんじゃなかったんだ。
 死んでしまった。殺されてしまった。
 カーッと怒りがこみ上げてきた。
 大事な宝物をとりあげられた子どものような。
 とにかく、混乱して仕方がない。
 とりあえず、バーに行くことにした。
 誰かの声が聞きたかった。

玉井さん その6

2001年12月17日
 それから、しばらくたって、冬がやってきた。
玉井さんがいなくなった。
引っ越したのだろうか。
もちろんさよならの挨拶なんてする義理もないのだろうけど、
なんだか寂しかった。
冷え切った部屋に帰宅する。
すぐさま暖房を入れて、風呂にお湯をはる。
あったかいお茶をいれて、
音楽をかけ、無音のテレビを眺めていた。
玉井さんだ。
見間違えようのない、
玉井さんの写真がテレビに映っている。
あわてて音量をあげる。

玉井さん その5

2001年12月16日
 翌朝、結局眠れずに出勤。
 おかげでいつもより早く家を出ることができた。
 玉井さんだ。
 「今日はお早いんですね。」
 「ええ、なんだか眠れなくて。」
 「誰かの声を聞くと安心するんですよ。
  それがよく知らない人でもね。」
 「そういうものですか。」
 「ええ。」
 「いってらっしゃい。」
 「いってきます。ありがとう。」
 初めて挨拶以外の話をした。
 誰かの声。なるほど。
 私が寝る前にバーに行きたくなるのはそのせいか。
 でも、それは玉井さんもそうだ。
 出勤前に玉井さんの声を聞いて安心しているのだ。
 玉井さんはそれを知っていて私に挨拶してくれるのだろうか。
 そういえば、最初に話しかけてきたのは玉井さんのほうだった。
 なんだか不思議な人だな、玉井さんは。

玉井さん その4

2001年12月15日
 帰ってくるとくたくただ。
 スーツもブラウスも下着も全部投げ出したい。
 とはいえ、お風呂が沸かしてある訳でもない。
 とりあえず、全部投げ出して、
 ただ冷たい浴槽に脚を入れて、熱いシャワーを浴びる。
 首筋にしばらくお湯をあてて、神経を生き抜きさせてやる。
 だんだんおなかも空いてくる。
 冷蔵庫に何か残っていたっけ?
 留守電には何も入っていない。
 電話がくるのは、週一回高校時代の友達からだ。
 メールは特に何も来ていない。
 メルマガだけがたまっていく。
 それでも、ネットをさまよって、
 好きな音楽をバックに無音のテレビをザッピングして
 寝る準備をする。
 お酒はひとりでは飲まない。
 よけいに眠れなくなるから。
 玉井さんは今頃どうしているだろう。
 もう、だんなさんと眠っているかもしれない。


 今日も眠れない夜みたいだ。
 まだ神経がピリピリ起きている。
 明日寝不足になるのは、わかっているのだが、
 気分転換に駅の近くの朝までやっているバーまで歩いていく。
 3杯くらいカクテルを飲んで、料理上手のマスターお手製の焼きうどんを食べて、
 店の男の子とたわいない話をして、
 満足して帰る。
 ホストクラブみたいだ、なんて思いながら。
 私はいくら彼らに落としていったろう。
 それでも、ほぐれた気分は捨てがたいものだ。
 それがお金で買えるのなら払うよ。
 ホストクラブには行かないけどね。
 でも、同じ気持ちなのかもしれない。
 ホストクラブに行く人も。

玉井さん その3

2001年12月14日
 私が勉めている印刷会社は、体育会系で、
 朝礼が始まる5分前にラジオ体操の音楽が流れる。
 その上さらに、30分前から会議があるのだ。
 おかげで、毎朝家を出るのは、6時40分。
 駅から7,8分くらいの私の近所にはほとんど人通りがない。
 そこを早足で駅まで急ぐ。
 玉井さんは、いつものようにカラスよけの網の外に
 捨てられたゴミを中に入れて、ゴミ置き場の周りを
 掃いている。
 そして、玉井と書かれたちりとりにきれいにおさめる。
 「おはようございます。」
 「いってらっしゃい。」
 今日もひとつ儀式がおわった。
 多摩川は毎日色を変える。雲も形を変える。草の長さも変わる。
 晴れていると遠く富士山が見える。
 またひとつ儀式が終わる。
 ふと、そこに川沿いに住んでいる人々の   
 「家」があるのがわかる。
 ダンボールとゴミ袋、傘やなにかがちらっと目の端をかすめる。
 可哀相なのかたくましいのか、感想を述べる権利は私にはない。
 ただ、おなじ世界を生きている。
 彼らも、玉井さんも、私も、これから会う職場の人も。

玉井さん その2

2001年12月13日
 32歳にもなって母が恋しいわけでもないが、
残業を終えて、結局、仕事関係の人以外とは
まともに話さなかったなあと思ったりすると、
なんだか朝の会話が懐かしく思えてくるのだった。
恋人もなく、ひとりで仕事をしていて、寂しくないわけはない。
でも、ひとりの自由さを知ってしまったら、それを手放すのも惜しい。
それを口実にしているだけかもしれない。
なにも自分から働きかけないことの。

玉井さん その1

2001年12月12日
 私が通勤するとき、ひとりの部屋から出て、
 これから職場の人に出会う準備をする瞬間がある。
 ひとつは、多摩川を電車が通りすぎる時。
 もうひとつは、玉井さんだ。
 玉井さんは、近所づきあいがあるわけでもなく、
 ましてや知人でもないが、
 毎朝、互いに挨拶を交わした。
 「おはようございます。」
 「いってらっしゃい。」
 ただ、それだけなのだが、私にとっては貴重な時間だった。
 訊いたことのないそのおばあちゃんの名前を知っているのは、
 彼女がいつも手にしているちりとりに「玉井」と書いてあるからだ。

 なかなかお洒落なおばあちゃんで、古い服だけれど
 大事にしているのが伝わってきた。
 お化粧をしているわけでもないのに、
 こざっぱりしている綺麗な顔立ちも品があるように思われた。

 「玉井さん」はその名前とイメージが一致して、
 どんどん私を想像の世界に連れていった。
 年金生活で慎ましく暮らしているのかしら。
 だんなさんとふたり。
 ここらのノラもなついているようだし、
 猫を飼ってるかもしれない。
 近所のこころないゴミ捨てをする人を庇うかのように
 自らゴミ置き場を掃除している。
 こんな私にも挨拶してくれる。
 やさしいおばあちゃんなんだわ。
人生とは、諸君、退屈なものだ。だがそれを言ってはいけない。
何しろ空はきらめき、大いなる海は思い焦がれ、
ぼくら自身もきらめき焦がれ、
その上、子どものころ母さんから(何度も何度も)
聞かされたが、「仮にも退屈を認めるというのは、
自分に何も

才覚がないということ」。してみると、ぼくには何も
才覚がないらしい、死ぬほど退屈だから。
どこの国の人間も退屈、
文学も退屈(とくに大文学が)、
ヘンリーも退屈―いつもアキレスみたいな苦境に立って、
不平たらたら。

人々を愛し、立派な芸術を愛し―それがまた退屈だ。
そして静かな丘も、ジンも、およそ退屈に見え、
なぜか一匹の犬が
自分と尻尾をはるかに遠い遠い
山か海か空へ運んでいってしまい、あとには
おどけ者の、ぼくひとり、ぴくぴく。
屠場のうしろ
角の所にバーが一軒あった
それでおれはそこにすわって
太陽が落ちるのを見守った
窓越しに、
無数の丈の高い乾燥した草を
見下していた窓。

仕事のあと
おれは決して工場で餓鬼どもとシャワーを
浴びなかった
それでおれは汗と血の匂いが
した。

汗の匂いは少したてばしなく
なった
しかし血の匂いは爆発し始め
力を得るのだ。

死んだもの全部の魂と一緒に
バスに乗れる
ほど気分がよくなるまで
おれは煙草を吸いビールを飲んだ
おれ
と一緒にバスに乗る動物たち。
いつも頭が少しくらくらした
女たちはいつも立ち上がっておれから離れた。

バスを降りると
1ブロックだけ歩かねばならなかった
自分の部屋まで階段を
ひとつ
上がる
そこでおれはラジオのスイッチを入れて
煙草に火をつける
そしてだれもおれのことなんか気にしない
ぜんぜん。
おお、おれにちっちゃな原爆をくれ
そんなに大きくなくて
通りの馬一頭殺せる程度の
ちっちゃな奴を
だけど通りに馬なんかいやしない

うん、ボウルから花どもを吹き飛ばす程度の奴を
でもボウルには
花なんて
ない

それから恋人をびっくりさせるような奴を
でもおれには恋人なんて
いない

うん
それから汚いが愛らしい子どものように
バスタブでごしごしするような
原子爆弾をくれ

(おれの部屋はバスタブ付きだ)

ちっちゃな爆弾を
将軍、パグ犬のような鼻と
ピンク色の耳の、
七月
の下着のように臭う

おれがクレージーだと思うか?
おれの考えではあんたもクレージー

そんなわけであんたが考えるように――
だれかほかの人間が使う前に
おれに送ってくれ。
多くの場合、
よそ行きの自分をずっと演じ続けているうちに、
いつの間にかそれが普段の自分になってしまう。
幼い子供が一度トイレで排泄することを覚えると、
もうパンツの中では排泄できなくなるようなものです。
パンツに垂れ流していた自分が「本当の自分」なのではなく、
訓練してトイレでだけ排泄するようになった自分こそが
「本当の自分」なんですね。
そうやって大人になっていくんです。

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