細胞全部
に与えられた
鬼の力を集めよう

可愛いつもりの
醜いかたまり

まだこれから

怖がらないで
闇の向こうへ
手を伸ばす前の
まわり道
すべての意味を
作り始める

あまりに青い空の下
こう
納得できる
分かりやすい
ちっちゃな島の
波打ち際で

なんかこう
でたらめの海から
打ち寄せてくる
貝とかね
ひとでを
集めて
集めては
みんなに見せてるような
そんな感じ

きっとだから
そのでたらめの海っていうのは
分かんないし、
もしかしたら人の無意識とか
そういう自分達の気がつかない何か
かもしれないんだけど、
そういうものから
打ち寄せられてくる
断片
みたいなものを集めて
それは
なにかこう
得も言われぬ
不安
だったり
ちょっとした寂しさ
だったり

なんでこんなもので寂しいのか
なんでこんなもので不安になるのか
分からないけど

その打ち上げられたものを見ると
不安になるとか

なんか
そういうのを拾って集めて
みんなに見せてるような
そんな感じですかね

何もしない言い訳

2003年1月20日
あと1年しかないと思って、
何もしない人は、
5年あっても
10年あっても
何もしないと思います。

この1年
やれるだけのことをやってみましょう。

それぞれの時間

2003年1月19日
1年って28年より長いですよね。
22222だった人がいたんだなあ。
なにか感じなかったろうか。

私だったら、その日出会う全ての2に意味を
ぺったり、ごり押ししてしまうだろうなあ。

中流意識

2003年1月17日
不幸なひとは、実は幸福に興味がない。
幸福なひとは、実は不幸に触れたくない。

余裕のある不幸なひとと幸福なひととが
やっと馴れ合うことができる。

あんまりこのことに気づいている人はいない。

反論

2003年1月15日
「どうして、自分を責めるんですか?
 他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、
 いいじゃないですか。」

 とは、いいましても、アインシュタインさん。
 他人はそんなに律儀ではありませんし、
 他人が責めてくる理由なんて正当なものとは限りません。
 それこそ、あなたが仰るように、
 「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」のですから。

 それに、他人は無関心ですよ。
 ちゃんと責めてくれる人を見極めるのは自分にしかできません。
 自分をちゃんと見ているか。
 自分を愛してくれているか。
 話し合いができているか。

 そうでない人の責める言葉など、真に受ける必要があるでしょうか?

 もちろん、だからといって、自分がいちばん自分を責める権利があるのではありません。

 問題は、バランスなのです。

それを知っている

2003年1月14日
愛が孤独を救うことはないのだ

恋だけが
いっとき
人の孤独を忘れさせる

ただ
恋だけが
一瞬
愛の無力を忘れさせる

ひとつの決意

2003年1月13日
わたしは、人間関係の変わりやすさがわかるようになりました。
そして、冷たさや熱さから身を遠ざけることを学びました。
そうすれば、温度のバランスがかなりよくとれるので。
自分自身の
そして
他の人々の人生に意味を見いだせない人は、
単に不幸であるばかりでなく、
生きるのに向いていない
といえましょう。

約束なんていらない

2003年1月11日
あげれば?
ネコは別に期待なんてしてないよ

今一回えさをもらえれば
腹いっぱいになって
それだけだと思うけど

飼って欲しいなんて
思ってないよ

だって
それしかないでしょう
一人で生きたい
自分で生きたい

誰かにしがみついて
生かしてもらうなんて
嫌だろう
あなたは何をしてるの?

そんな立派な体を持っているのに
何をしてるの?
なんにももたない
ばあさんがいて
くるくるぱあだと
ひとにいわれた
たべるものとて
なにもなく
きるものとても
なにもなく
うしなうものも
なにもなく
こわいものとて
なにもなく
ほしいものとて
なにもなく
あげるものとて
なにもなく
しんでも
なにものこさなかった
[動いているものは動いているものにしか見えない]

猛スピードで乗っている新幹線の中の乗客は、普通外から見えません。ところが、走って居る方向に首をすばやく振ってみると、一瞬だけ窓辺の乗客が見えることがあります。お弁当を食べている様子さえ見えることもあります。このように動いているものは、動いている者にしか見えません。
もしも、この世の中でなにが一番ビビッドに動いているかを知りたいとしたら、自分自身もビビッドに動いていないといけません。動いているものは、動いている者にしかみえないのですから。

自分の中の光る星

2003年1月7日
世の中には、環境が変わると価値が変わるものが多くあります。
例えばフロリダで一年中おいしいフローズンドリンクも、シベリアではおいしくないのは
誰でもわかることです。
しかし、稀に、
まわりに全く影響されない価値もあります。
極端な話ですが、
フロリダの正三角形は
シベリアでも同じ正三角形です。
私たちには、「郷に入っては郷に従え」といった、
状況に応じて変化を余儀なくされることを認める傾向もあります。
しかし、自分の中に不変なものを持つのもかっこいいことであります。
闘うということは、
たとえ敵の刃がおのれを貫いたその刹那でさえ
生きる、生きようと思う
そういうことだ。

生きることは死ぬことだなどと
悟ったようなことを言う奴が居る。
そういうことは、
一度も刃を交えて闘ったことのないたわけが言うことだ。

生きるということはもっと必死なことだ。
死ぬということももっと必死なことだ。

生きようと思え
最後の最後まで
どんなに追いつめられても
生きようと思え
そうすれば
いつか必ず
己の命を捨ててでも守らねばならぬと思えるものが
必ず見つかる。

闘うということはそういうことだ。

死ぬな。
生きろ。
生きろ。
生きろ。

生きろ。

終焉の数式

2003年1月5日
地球は数十億年存在してきました。
その終焉については、
わたしはこう申し上げたい。

「まあ、待ってみましょう」

死はいずれやってくる。
それがいつかなんて
どうでもいいことじゃないですか。

カウンターパンチ

2003年1月4日
他者にぶつかり、
ひじょうなよろこびにあうとともに、
自分がおかれているところが見えてくる。

それはけっしていい状態ではない。
地獄だった地獄に気がつく。

十字架か。
刻々に十字架がせまる。

売るときの他者
教えるときの他者のことは分からないが、
こういう他者は、
こちらが他者にぶつかるのではあるまい。
他者のほうからぶつかってくるのだろう。
ふつうなら、それはこばむ。
あたりまえのことで、
他者にぶつかられたら、
こっちはこなごなになっちまう。
なにもかもこなごな、
人格もくそもない。
そんなおそろしい他者からはだれだって逃げてまわる。
言葉はある実状、実体をあらわすもの、
いや言葉をはなれて、
実状実体みたいなものはなく、
言葉達あらわれるところ、
それが実状、実体だ

なんてぼくは考えていない。

そんなかんたんなんことではあるまい。
かんたんはわるくないけど、やっぱり甘い考えだろう。

ともかく、
きのうあたりから、
若い、がとれた。
これを、ぽろりと若いがとれたとか、
うばわれたとか言うと、
なんだか宗教的で大げさだろう。
はかかった
ばかはかかった
たかかった
ばかはかかんだ
かたかった
はがかけた
ばかはがかけた
がったがた
はかなんで
ばかはかなくなった
なんまいだ

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索