爛れた花
2004年6月13日ケータイのない私は、手帖がなければ、誰とも連絡が取れない。だというのに、あろうことか、手帖を家に忘れっぱなしにしたまま、ここは富山だ。
目の前を大きな山が阻んでいる。バスの運転手さんに聞いて、縁村に行きたいのだが、と訪ねると、このバスじゃないよ、と冷たくあしらわれた。誰にどう聞くのがいいのか。ここには交番がない。縁村にはペンションを予約してある。夏日の中、汗が頬をつたう。なるべく早くつきたいのだが、帰ってくるバスにいちいち縁村まではどう行くのかを訪ねる。私は、富山から乗ってきたこのひゅうが駅からすでに間違えているのではないのか。なんだか、息苦しくなってきた。喉が渇いている。キオスクのおばちゃんからお茶を買う。キオスクはあるのになあ。5番目のバスがやってきて、私はやっと乗れることができた。多田ペンションまでお願い、やっと一息つくことができる。
着くと、いつものペンションのおばさん(ほどではないが)が犬と一緒に迎えてくれた。そして、リビングでハーブティ。ここの奥さんは東京での生活を捨てて、この山での暮らしを楽しんでいるのだ。苦労もあったろう、周りの目もあったろうに、今ではほがらかに笑っている。私は、彼女の生き方が好きだ。というか、行き方が好きだ。旦那さんの意志もあったのだろうが、全部ほっぽり出して、こっちに来た。子供もふたりすくすくと育っている。そんな大それた選択私にはできないもの。
ペンションの私の部屋に通される。ここにもハーブが添えられていて、香りが鼻をそよぐ。「良い部屋だわ。ありがとう、いつも」「いいえ、久しぶりですもの。あの頃、まだ中学生だったでしょう?」ええ、と答えながら、窓を開けてみる。窓からは、うっそうとした森が見える。それが風になびく様がいやされるのだ。「それじゃこれで」と奥さんは下がった。
さて、これから、何をしようか。本も持ってきたけれど、不安な本なので、わざわざここで読む必要もない気がしてきた。「エンジェル・アット・マイ・テーブル」でも、私はここに来るまで、この本を支えに生きてきたのだ。鳥の巣のような赤毛の貧しい女の子は読書に目覚めるが、やがてその世界に閉じこもったため、精神病院に送られ、ロボトミー手術を強要されてしまいそうになる。電気ショックはいつもの日課。だが自分の書いた作品が認められたことで、彼女は書くことの他に自分はないと悟る。その時、既に彼女は三十代半ばを超えていた。リルケの詩から取られた題名、不意に現れた“机の上の天使”とは即ち“希望”の代名詞である。映画でも見たが、希望もくそもない映画だった。たったひとりの孤独の人生をうっとりと受け入れるその様は、私には、ずっと鏡を見つめる若い女に、ずっとひとりで遊び続ける子供を思い起こさせ、吐きそうになったことがある。
目の前を大きな山が阻んでいる。バスの運転手さんに聞いて、縁村に行きたいのだが、と訪ねると、このバスじゃないよ、と冷たくあしらわれた。誰にどう聞くのがいいのか。ここには交番がない。縁村にはペンションを予約してある。夏日の中、汗が頬をつたう。なるべく早くつきたいのだが、帰ってくるバスにいちいち縁村まではどう行くのかを訪ねる。私は、富山から乗ってきたこのひゅうが駅からすでに間違えているのではないのか。なんだか、息苦しくなってきた。喉が渇いている。キオスクのおばちゃんからお茶を買う。キオスクはあるのになあ。5番目のバスがやってきて、私はやっと乗れることができた。多田ペンションまでお願い、やっと一息つくことができる。
着くと、いつものペンションのおばさん(ほどではないが)が犬と一緒に迎えてくれた。そして、リビングでハーブティ。ここの奥さんは東京での生活を捨てて、この山での暮らしを楽しんでいるのだ。苦労もあったろう、周りの目もあったろうに、今ではほがらかに笑っている。私は、彼女の生き方が好きだ。というか、行き方が好きだ。旦那さんの意志もあったのだろうが、全部ほっぽり出して、こっちに来た。子供もふたりすくすくと育っている。そんな大それた選択私にはできないもの。
ペンションの私の部屋に通される。ここにもハーブが添えられていて、香りが鼻をそよぐ。「良い部屋だわ。ありがとう、いつも」「いいえ、久しぶりですもの。あの頃、まだ中学生だったでしょう?」ええ、と答えながら、窓を開けてみる。窓からは、うっそうとした森が見える。それが風になびく様がいやされるのだ。「それじゃこれで」と奥さんは下がった。
さて、これから、何をしようか。本も持ってきたけれど、不安な本なので、わざわざここで読む必要もない気がしてきた。「エンジェル・アット・マイ・テーブル」でも、私はここに来るまで、この本を支えに生きてきたのだ。鳥の巣のような赤毛の貧しい女の子は読書に目覚めるが、やがてその世界に閉じこもったため、精神病院に送られ、ロボトミー手術を強要されてしまいそうになる。電気ショックはいつもの日課。だが自分の書いた作品が認められたことで、彼女は書くことの他に自分はないと悟る。その時、既に彼女は三十代半ばを超えていた。リルケの詩から取られた題名、不意に現れた“机の上の天使”とは即ち“希望”の代名詞である。映画でも見たが、希望もくそもない映画だった。たったひとりの孤独の人生をうっとりと受け入れるその様は、私には、ずっと鏡を見つめる若い女に、ずっとひとりで遊び続ける子供を思い起こさせ、吐きそうになったことがある。
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