ヨハネ 断章 最終回
2001年12月2日 イエスが死んでから、
私は彼の母の世話をまかされた。
その後、方々へ旅し、
7聖堂を建てたが、
ローマに連行され、
油の煮えたぎる釜に投じられるという拷問を受けた。
もちろん今も胸から下はやけどの跡が残っている。
今は、ここパトモス島で静養している。
いつまたローマの迫害を受けるとも知れない。
私にはやり残したことがある。
これから、それが始まる。
事実を書くのではない。
私の願いを書くのだ。
福音書の初めのくだりよりもそれは詩的象徴であふれるだろう。
「初めに言があった。」「この言に命があった。」
福音書の冒頭で私はこの世のはじめを書いた。
しかし、これから残す書物はこの世の終わりと繰り返し。
キリストの最後の勝利は書簡で慣れたおためごかしだ。
終わりは始まり。
どうか、人間の高みへの熱狂が
数少なくとも消えぬことのないように。
私は彼の母の世話をまかされた。
その後、方々へ旅し、
7聖堂を建てたが、
ローマに連行され、
油の煮えたぎる釜に投じられるという拷問を受けた。
もちろん今も胸から下はやけどの跡が残っている。
今は、ここパトモス島で静養している。
いつまたローマの迫害を受けるとも知れない。
私にはやり残したことがある。
これから、それが始まる。
事実を書くのではない。
私の願いを書くのだ。
福音書の初めのくだりよりもそれは詩的象徴であふれるだろう。
「初めに言があった。」「この言に命があった。」
福音書の冒頭で私はこの世のはじめを書いた。
しかし、これから残す書物はこの世の終わりと繰り返し。
キリストの最後の勝利は書簡で慣れたおためごかしだ。
終わりは始まり。
どうか、人間の高みへの熱狂が
数少なくとも消えぬことのないように。
コメント