ヨハネ 断章 その14
2001年12月1日 ユダ。
私と似ていながら非なる者。
私と同じ絶望を抱きながら、それを行動に起こした者。
それを通過せざるを得なかった者。
私たちは、お互いを常に意識していた。
話す機会は少なかったが、相転移して同じ事をしても
おかしくないと感じ取っていた。
イエスが死を預言ではなく現実の一部として生きたように、
ユダもまた裏切りは予感ではなく現実の一部にひそんでいた。
イエスが夕食の際、ユダの裏切りについて語ったとき、
私はイエスの隣にいて驚きとは裏腹に納得していた。
彼がそう定められていなければ、
裏切ったのは私かもしれない。
ゲッセマネの園で一夜
イエスが近づく死の杯を取り除いてくれるよう
主に嘆願しているとき、
ユダもまた裏切りの杯を取り除いてくれるよう
ひとり苦悩したのではないか?
「すべてはみこころのままに」
あらゆる瞬間あらゆる関係は大いなる偶然と
こまやかな意図とで編まれてできていて、
あらゆるできごとはただ起こる。
当然のように。
当事者の意志とは関係なく。
彼がイエスに接吻することで裏切ったことを
私は福音書には記述しなかった。
それは、彼の名誉のためだ。
彼も又イエスを愛していたことを
痛いほど知っていたからだ。
そして、彼は自ら命を絶った。
だが、彼は今も私の中で息づいている。
私と似ていながら非なる者。
私と同じ絶望を抱きながら、それを行動に起こした者。
それを通過せざるを得なかった者。
私たちは、お互いを常に意識していた。
話す機会は少なかったが、相転移して同じ事をしても
おかしくないと感じ取っていた。
イエスが死を預言ではなく現実の一部として生きたように、
ユダもまた裏切りは予感ではなく現実の一部にひそんでいた。
イエスが夕食の際、ユダの裏切りについて語ったとき、
私はイエスの隣にいて驚きとは裏腹に納得していた。
彼がそう定められていなければ、
裏切ったのは私かもしれない。
ゲッセマネの園で一夜
イエスが近づく死の杯を取り除いてくれるよう
主に嘆願しているとき、
ユダもまた裏切りの杯を取り除いてくれるよう
ひとり苦悩したのではないか?
「すべてはみこころのままに」
あらゆる瞬間あらゆる関係は大いなる偶然と
こまやかな意図とで編まれてできていて、
あらゆるできごとはただ起こる。
当然のように。
当事者の意志とは関係なく。
彼がイエスに接吻することで裏切ったことを
私は福音書には記述しなかった。
それは、彼の名誉のためだ。
彼も又イエスを愛していたことを
痛いほど知っていたからだ。
そして、彼は自ら命を絶った。
だが、彼は今も私の中で息づいている。
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