ユダ。
 私と似ていながら非なる者。
 私と同じ絶望を抱きながら、それを行動に起こした者。
 それを通過せざるを得なかった者。
 私たちは、お互いを常に意識していた。
 話す機会は少なかったが、相転移して同じ事をしても
 おかしくないと感じ取っていた。
 イエスが死を預言ではなく現実の一部として生きたように、
 ユダもまた裏切りは予感ではなく現実の一部にひそんでいた。
 イエスが夕食の際、ユダの裏切りについて語ったとき、
 私はイエスの隣にいて驚きとは裏腹に納得していた。
 彼がそう定められていなければ、
 裏切ったのは私かもしれない。
 ゲッセマネの園で一夜
 イエスが近づく死の杯を取り除いてくれるよう
 主に嘆願しているとき、
 ユダもまた裏切りの杯を取り除いてくれるよう
 ひとり苦悩したのではないか? 
 「すべてはみこころのままに」
 あらゆる瞬間あらゆる関係は大いなる偶然と
 こまやかな意図とで編まれてできていて、
 あらゆるできごとはただ起こる。
 当然のように。
 当事者の意志とは関係なく。
 彼がイエスに接吻することで裏切ったことを
 私は福音書には記述しなかった。
 それは、彼の名誉のためだ。
 彼も又イエスを愛していたことを
 痛いほど知っていたからだ。
 そして、彼は自ら命を絶った。
 だが、彼は今も私の中で息づいている。

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