イエスは、私のことをよく「おくれてきた預言者」とか
 「預言者のなりそこない」と呼んだ。
 彼とはよくこの世界の神秘について語ったものだった。
 それは、日常のことから、
 私たちの目に見えない世界のことまで。
 私は、母の姉が代々所蔵している書物をつかって
 母から読み書きを学んでいた。
 もちろんそれ以外のことも。
 そのことがイエスに従うきっかけをあたえたのは
 言うまでもない。
 だが、イエスは違うと言った。
 「キミは無意識のうちにこの世の創造主の本質を
 感じつかみ取っている。
 私なんか貧乏神をひいたもんさ。
 これから私に起こる出来事を見ればね、
 分かると思うよ。
 こんなちからなんになるというんだろう。
 彼らは誰でもよかったはずなんだ。
 日常から飛べるまやかしをみせてくれる者が
 いればね。
 でも、そんな彼らの苦しみや悲しみが私には
 分かるから。
 私は、自ら命を絶つようなことはしないのさ。
 キミなら分かってくれるだろうか。
 バプテスマのヨハネのように。」
 それから、こう付け加えた。
 「いや、余計なことを言ったな。」
 今は彼が言った意味が分かる。
 イエスに贖罪の死を授けた神は、私の思う創造主とは
 次元が異なる。
 重なる次元のひとつの現象として
 イエスが存在したのだ。キリストとして。

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